迷い道 2006 3 14

 今では、ライブドア前社長の堀江氏は、
まるで極悪人のように言われていますが、
彼に対し、同情の余地があると思います。
 堀江氏も、最初は、おそらく、
「社会のために役立ちたい」と思って、事業を始めたのだと思います。
ところが、初心を忘れ、
いつの間にか、「金儲け」そのものが目的となってしまったのでしょう。
 しかし、ここに別の問題があったのです。
彼に忠告をすべき大人たちが、むしろ彼を利用し、
彼をおだてて天狗にしてしまったのです。
 これが、大きな大きな問題です。
彼は、若かったので、経験が不足していて、過ちを犯すことは、当然だったでしょう。
 本来ならば、大人たちが、
彼に対し、「天狗になっているぞ。もっと修業してこい」と言うべきところを、
彼の人気を、金銭的にも、社会的にも利用できると考えてしまったのです。
 それが、彼を、「迷い道」へ招くことになったのです。
そこに、同情すべき余地があると思います。
 彼は、まだ若いから、大人たちから、ちやほやされれば、天狗になってしまいます。
気の毒なことに、彼は利用されていると気づかずに、有頂天になっていたのです。
そして、落ち目になれば、すぐに使い捨てとなってしまう。
 以下の「公共性 2005 9 26」という記事は、
堀江氏に対し、警鐘を鳴らす意味で、あるいは警告の意味で書いたのです。
 今の世の中、おかしな世の中になってしまった。
「成功すれば、その人気を利用したいと、ゴマをすり、すり寄ってきて、
失敗すれば、あるいは、落ち目になれば、徹底的に叩く」。
 そういう「卑しい日本社会」になってしまった。
今の日本社会、「強者にすり寄り、負け犬は叩く」という、
そんな卑しい人間ばかりになってしまった。

公共性 publicness 2005 9 26
 公共性が、長期に渡って失われる時代が続くかもしれません。
最近の政府(2005年9月当時)は、郵政民営化という得意分野に特化し、
大企業も、それぞれの得意分野に特化し、収益性の低い分野からは撤退しています。
新興企業に至っては、徹底的な拝金主義に特化しているかもしれません。
 もはや、「公共性」という言葉は、死語になりつつあります。
こんな社会になってしまって、いいのでしょうか。
これが、私達日本人が目指す社会なのでしょうか。
そうだとすれば、実に悲しい。
 どこへ行くのか、日本。
理念もなく、理想もなく。










































トップページへ戻る